私たちは皆、誰かの子どもです。そして私たちは皆知っています。特別に念入りの計画、努力がない限り、間違いは起こり得ると。それが人間だからです。私の子ども達が、私に対して無情なまでの判断を下してしまわず、過ちを許してくれることを心から願っている自分、というものを見つめなおした時、過去にあれほどまでに拒絶していたにもかかわらず、父について考えざるをえなくなりました。父は私を愛していたのに違いない、そう認めざるをえなかったのです。

   彼は確かに、私を愛してくれました。目に見えるような形ではなかったのですが、私はそれを知っています。これは誰でもそうですが、私は子どもの頃、甘いものに目がありませんでした。私はシロップがけのドーナッツが大好きで、父はそれを知っていました。時々、私が朝起きて下に降りるとキッチンのカウンターにシロップがけのドーナッツの袋が置いてあったものでした。なんの置書きもなく、ただドーナッツが置いてあったのです。まるでサンタクロースみたいでした。たまに夜更かしをすると、父がサンタクロースのようにドーナッツを置いていくのが見えました。父がそのようなことをやめないよう、この魔法を壊したくありませんでした。 父は誰も起こさないように、夜更けにやらなければならなかったのです。

   彼は人間の感情というものに、恐れを抱いていたと思うのです。それを理解しなかったばかりでなく、どうやってつきあったらよいのか分からなかったのでしょう。しかし父は、ドーナッツのことだけは知っていたのです。もう少し感情を吐露させていただく機会があれば、色んな想い出がよみがえってくるのです。父のちょっとした動作や、ぎこちなかったけれど出来る限りのことをしてくれた父の想い出です。

   ですから今夜、私は父が私に対してしてくれなかったことではなく、彼が私にしてくれた全てのことや、彼自身が挑戦しようとしていたものに目を向けてみたいのです。父という人間を思いこむことによって判断したくはありません。

   私は父が、南部の貧困な家庭で育ったという事実を考え直してみました。父は恐慌時代に生を受け、彼の父親は子ども達を養うため、懸命に働かなければなりませんでした。家族に対して愛情を見せなかったばかりでなく、鉄拳を振るったのです。南部のプア・ブラック(貧しい黒人)として育つということが、何を意味するのかご存知ですか? 尊厳を奪われ、希望を引き裂かれ、自分の父親を見下さずにはおれない世界で大人になってゆくのです。


   私は
MTVで放送された初めての黒人歌手でした。それがどんなに重大なことなのか、その時でさえ感じていました。1980年代だった当時でさえ!


   父はインディアナ州に引っ越し、鉄工所で働きながら、肺を病んで精神をだめにしながら、家族を養うため、長時間働き続けました。
彼に自分の感情をさらけだすなんてことが出来たと思いますか?壁をつくって心がかたくなになってしまったことを、不思議に思われますか?第一、貧困と屈辱の生活を知る者がそこから抜け出したいと願い、パフォーマーとして彼の息子を成功させるのに躍起になっていることがそんなに不思議なことですか?


   私は父の厳しささえ、ある愛情表現なんだと分かるようになってきました。言ってしまえば、不完全な愛です。しかし、愛にはかわりはありません。
父は私を愛していたがゆえに、私の背中を押しました。彼は自分の子孫を軽蔑するような、そんな人間にはしたくなかったのです。
 

   そして時と共に、苦しさなどよりも神のご加護を感じます。怒りのかわりに赦すということを発見したのです。 復讐の代わりに、和解することを発見したのです。そして初めに感じていた怒りは徐々に、赦すということへとってかわりつつあります。


   ほぼ
10年前、私は「ヒール・ザ・ワールド」基金を創設しました。この名前は、私の心のうちで感じていたものを表しています。 これは私は全く知らないことでしたが、シュムレー氏が後に指摘してくれたように、この言葉は旧約聖書の予言の中では基本となるものでした。 今日に至るまで、戦争と殺戮にまみれたこの世界を本当に癒せるのでしょうか?コロンバイン高校で起きてしまったように、クラスメートを撃ったり、学校に銃や憎しみを持ち込むような子ども達、そんな子ども達を癒すことが出来るのでしょうか?ジェイミー・バルがーの小説にもあったような、無抵抗の子どもを打ち続けるうちに殺してしまうという子どもを?もちろん、出来るのです。そうでなかったら私は今夜、ここにいなかったでしょうから。

   全ては赦すことから始まります。この世界を癒すため(ヒール・ザ・ワールド)には、まず自分自身から癒さねばなりません。
子ども達を癒すため、私たち一人一人が心の中から、癒されねばならないのです。 大人として、そしてまた親として、私は自分自身の子ども時代の暗い影を克服するまで、無上の愛を与えられるような親にも、完全な人間にもなれないことに気がついたのです。


   そして今夜、わたしがあなた方に求めているのは、モーセの十戒を守りなさい、ということです。
判断することなしに、あなた方の両親を尊敬してください。疑いの中から彼らを信じなさい。こうだと思いこむ前に尊敬しましょう。 私は父を赦したいと思っているし、彼を判断することをやめたいのです。私は父を赦しました。父親が欲しかったからです。そして、私の父は世界中でただ一人だからです。 私は自分の過去の重荷から逃れたいと思っています。これからの人生をかけて、その束縛から自由になって、過去の亡霊を断ち切り、父と新たな関係を持ちたいのです。
  

   憎しみが蔓延しているこの世の中で、私たちはなお夢想します。怒りでいっぱいのこの世の中で、私たちは敢えて癒そうと試みます。 絶望的な世界で、わたしたちはそれでもなお夢見なければなりません。虚偽に満ちている世界で、私たちはなお信じなければならないのです。.

   両親に虐げられてきたと感じている皆さん、今夜私はあなた自身の絶望を追いやってしまいなさいと言いましょう。父親や母親に欺かれてきたと感じている皆さん、今夜私はあなた方自身をこれ以上欺かないように、と言いましょう。 両親を遠ざけてきた皆さん、私はあなた方がかわって手を差し伸べなさいと言いましょう。 私たちの両親に、無条件の愛を捧げましょう。彼らもまた、私たちや子ども達から愛というもの知るでしょう。こうして愛が、荒れ果てて孤独な世界を再び満たしていくのです。

   
   シュムレー氏は古代聖書のある予言を話してくれたことがありました。「子ども達の心を通して両親の心が潤う時」、その時に新しい世界、新たな時がやってくるのだと。
みなさん、私たちがその世界なのです。私たちがその子ども達なのです。(we are that world, we are those children


   マハトマ・ガンディーは「弱者は決して寛大にはなれず、強者だけが寛大になれる」のだと言っています。
今夜は、強くなりましょう。強さを超えて、この世で一番の挑戦を試みるのです。壊された誓約(#1参照)を再び結びなおしましょう。ジャクソン師の言葉にもあるように、どんなに悲惨な子ども時代をおくったとしても、私たちは乗り越えねばなりません。お互い赦しあいましょう。お互いを見つめなおし、先へと進むのです。


   この赦すという行為は、オプラ(おそらくオプラ・ウィンフリー)の運動の結果ではなく、今始まったばかりなのです。この結果はきっと喜ばしいものになるでしょう。
そして皆さん、私は今夜、信念と、喜び、スリルに満ちてこのスピーチを終わりにします。


   今日、これからは新たな歌が聴かれるでしょう。
この新たな歌を子ども達の笑い声で満たしましょう。この新しい歌を子ども達の遊んでいる声でいっぱいにしましょう。この新たな歌を子ども達の声にしましょう。そしてこの新しい歌を両親が聞いてくれますように。皆さん、ともに心に思いやりを持ちましょう。子ども達の奇跡に息をのみ、愛の美しさに浸りましょう。この世界を癒し(heal the world)、その痛みを和らげましょう。 


   そして私たちみんながこの美しい曲をつくれますように。
神のご加護を。 I love you

 

The original is in "Heal The Kids.net"
(http://www.healtheworld.com)
2001年3月6日
マイケル・ジャクソンスピーチ@オックスフォード・ユニオン #3  
The end