・ ・・・あなた方が愛されていることを知りながらこの世に生を受け、愛されていることを知りながらこの世を去るのならば、その間になにが起ころうとも耐えうるでしょう。値打ちのないやつだと言われることもあるかもしれません。しかしその時、あなたは自信を持っているに違いないでしょう。押しつぶされそうになる時があっても、押しつぶされはしないのです。力で圧倒されそうになっても、それでもあなた方は勝利者なのです。

  しかしこの時、愛されていたという想い出がなければ、なにか自分を満たしてくれるものを捜し求めることが運命づけられてしまうのです。 いくらお金を稼ごうが、有名になろうが、胸のうちはぽっかりと何もないのです。 私たちが本当に捜し求めているのは無条件の愛、抱擁です。そしてこれが生まれてきてすぐ否定されてしまうこともあるのです。

  皆さん、アメリカにおける典型的な一日をご紹介しましょう。20歳以下の若者は、6人が自殺します。20歳以下の若者の12人が、火器で死亡しています。これらは全て一日で起こるものです。一年ではありません。 399人の子ども達が麻薬乱用で逮捕され、1352人の赤ん坊が10代の母親から生まれています。 この現実は世界史上、一番裕福で発展しているといわれている国で起こっていることなのです。 そうです、我が国ではどの工業化している国よりもひどい行為が蔓延しているのです。これがアメリカにおける若者の、彼らの痛み、怒りの表現なのです。

  イギリスの子ども達はアメリカの子ども達のようではない、と思われるかもしれませんがそうではありません。あるリサーチでは、一時間毎に3人の(イギリスの)子ども達が体を傷つけ、薬物中毒に陥っています。 これは今まで放っておかれた上、心の葛藤と戦った結果なのです。イギリスでは、20%以上もの家庭が一年に一回しか家族そろって夕食を食べないのです。一年に一回!

  昔から続けられてきた、寝る前のお話はどうなのでしょう?
1980年代から始められた研究では、寝る前にお話を聞かされてきた子ども達は、素晴らしい読み書き能力を発揮し、学校でも他の生徒を上回るということです。しかしながら依然としてイギリスでは、2歳から8歳の子ども達の33%しか寝る前のお話を読んでもらっているにすぎません。この子ども達の両親の75%は寝る前のお話を読んでもらっていたことを考えると深刻な事態です。

  明らかに、現在の私たちの痛み、怒り、憂慮すべき問題がどこから端を発しているのかがわかるでしょう。子ども達が気を引くために泣き叫び、無関心に対して身を震わせ、放っておかれることに対して苦悶しているのは自明のことなのです。

  
  アメリカにある子ども達の保護機関の多くは、平均して毎年、何百万という子ども達が放って置かれるなどの虐待を受けているとしています。
そう、放って置かれるのです。裕福な家庭、特権階級の家庭では、電子機器でいっぱいです。両親が帰ってくるところが家庭なのに、その彼らの頭が仕事のことで一杯ならばそれはもはや家庭とはいえません。 そしてこのような両親を持つ子ども達はどうなるのでしょう?食事はそこらにあるもので済ましてしまいます。果てしなく続くテレビ番組、コンピューターゲーム、ビデオ。ここから一体何が得られるのでしょう。

  このようなすさまじい状況は、これは私にとってもですが、魂を苦しませ、心をいたぶります。なぜ私がこれほどまでに時間と財源をかけて「ヒール・ザ・キッズ」のイニシアティヴをとり、成功へと貢献してきたのかがお分かりでしょう。 私たちの目指すところはいたってシンプルです。親子の絆を一層深めること、いつかこの地球と共に歩むであろう全ての美しい子ども達にわれわれの約束を示し、将来への道を照らし出してあげることです。

  この私の初めての講演で、あなた方は心から私を歓迎してくれました。私はもう少しだけ話を続けたいと思います。私たちにはそれぞれ事情がありますから、その意味では統計上の数字というものが表面的といわざるをえないかもしれません。よく子育ては、ダンスみたいだといわれています。あなたがワンステップ踊れば、子どもがもうひとつのステップを踏みます。私は父親になってから、子どもに自分自身を捧げる親になるだけではだめだということに気づきました。 子ども達からも受け入れられるような親にならなければいけないのです。

  私は、小さかった頃、狼とレトリバーの雑種でブラック・ガールと呼んでいたかわいい犬を飼っていたのを思い出します。彼女は番犬にならなかったばかりでなく、ちょっとことでいつも怖がったり怯えていました。トラックが地響きをたてて走り抜けたり、インディアナを通り抜ける嵐をどうやって切り抜けてきたのかいつも不思議に思っていました。妹のジャネットと私はこの犬がとても好きでした。しかしもとの飼い主がこのブラック・ガールを勝手に連れて行ってしまったのでそれ以来、信頼というものに対して素直になれなくなったのです。 私たちは、この飼い主がブラック・ガールを殴ったりしていることを知っていました。どうであれ、このことで彼女は命を失ってしまったのです。

  今日の多くの子ども達は愛に飢えた生活を送っているがために、子犬を傷つけるような行動に走ります。 彼らは自分達の両親のことは気にかけていません。自分専用の電子機器に囲まれて、孤独であり続けるのです。 彼らは自分達だけで成長しようとし、両親達は置き去りにされていくのです。 さらに悪いことは、このような子ども達は、両親のなすこと全てが悪い結果になるといわんばかりに両親に対して怒り、憎しみを抱いていることです。

  私は皆さんにこのような過ちを犯してもらいたくないのです。ですから世界の子ども達に呼びかけているのです。あなた方は今夜から始めるのです。もしあなたが両親に放って置かれていたと感じていても許しなさい、と。 彼らを許してあげてください。そして愛がどういうものだったのかを教えるのです。

  あなた方は多分、私が安穏な子ども時代をおくっていないことをご存知でしょう。父と私の張りつめた関係はよく取り沙汰されてきました。父は厳しい人で、早い時期から世界で一番のパフォーマンスができるよう、私や兄弟に対して手厳しく接してきました。彼にとって愛情を示すということは非常に難しいことであったのです。彼は決して私を愛しているとは言いませんでした。お世辞でもそのようなことは絶対に言わなかったのです。私が素晴らしい演技をすると、彼はいいショーだったと言います。私がまあまあの演技をすると、何も言いません。

  彼は少なくとも、商業的な成功にかけては熱心でした。この方面では熟練した腕を持っていたともいえるのです。父はマネージメントの面では天才的でした。私や私の兄弟のプロとしての成功は彼によるところが大きいのです。少なからずそれは強制的であったともいえますが。彼は私をショーマンとしてトレーニングし、ステップのひとつも間違えることを許しませんでした。しかし私が欲しかったのは「父」でした。私が欲しかったのは、私に愛してるよといってくれる父でした。しかし、父は決してそうは言いませんでした。私の目をみつめているときでさえ、愛しているとは言わなかったのです。一緒に遊んでもらったこともありません。肩車も、枕投げも、水風船投げも一緒にしたことはありません。

  でも私はひとつだけ覚えていることがあります。10歳くらいのとき、小さなカーニバルで父が私を持ち上げ、ポニーの背に乗せてくれたことです。それはなんでもない仕草だったので、父は5分後には既に忘れていたかもしれません。しかしこの瞬間があったからこそ、心の中に父に対する特別な感情を持つようになったのです。多くの子ども達にとっても、私にとっても、ちょっとしたことがその後の人生で大きな意味をもつことだってあるのです。私にとっては、この一度きりの経験が父に対して、引いてはこの世界に対してよい印象をもつことを可能にしたのです。

 

  今自分自身が父親となって、いつかパリスやプリンスが成長した時、自分のことを思い出すようになってもらいたいなあと思うときがあります。もう少し言えば、私がどこへ行っても彼らのことを片時も忘れず、なににおいても彼らのこと第一に想っていることを思い出してもらいたいのです。しかし試練はあります。パパラッチに追いかけられるような生活のため、彼らは私と一緒に公園へ行ったり、映画に出かけたりは出来ないのです。
  

  彼らが大きくなって私に対して憤りを感じたり、私の選択が自分達の青春時代に影を落としたと言われたらどうすればよいのでしょう。どうしてみなと同じような子ども時代をおくれなかったの?私はこう尋ねられるかもしれません。このような日が来たとき、私の子ども達がその疑いの中からこう言ってくれることを祈るばかりです。「僕(私)たちの父さんは、人とは違った状況の中でだけど、出来る限りのことをしてくれたんだね」「父さんはパーフェクトじゃなかったかもしれないけど、でも暖かくてやさしかった。そして世界で一番の愛をくれたね」

  私が喜んで彼らに身を捧げているような、そんなポジティヴな面を、彼らがいつでも見ていてくれたらよいなと思っています。私が犯した間違いや、彼らが諦めねばならなかったことを非難するよりもです。そしてその心をもち続けて欲しいと思うのです。

 

マイケル・ジャクソンスピーチ@オックスフォード・ユニオン #2  
2001年3月6日
The original is in "Heal The Kids.net"
(http://www.healtheworld.com)
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