7.歌の子ども

子ども達に音楽を聞かせると、ただ聞いているだけではありません。メロディーと一体化して、リズムに身を任せるのです。まるで翼を広げるように心のうちで何かがはじけ、すぐに子どもと音楽はひとつになります。音楽という存在の前で私もそのように感じています。そして私の想像力は子ども達と過ごすことでやってくるのです。子ども達と一緒にいると、呼吸をするようにごく自然に音楽が生まれてくるのです。

私のつくる歌の一曲、一曲が愛すべき、自分の中で育ててきた子ども達なのです。歌を書いたことがない人がいたとしても、その人の人生そのものが歌なのです。そうでないはずがありません。流れる時間の中で、自然があなたを包み込みます。毎日果てることのない夜明けと夕焼けのリズムがあなたの一部となり、雨があなたの心を癒し、太陽と微妙な駆け引きをする雲の間に自らを見出すでしょう。生きるということは、静脈の中で血を躍らせるというように、音楽的になるということです。この世の生きとし生けるものはリズムを持っています。それぞれのリズムを感じることで、そっとそして注意深く音楽を引き出してやるのです。

あなたは音楽を感じることが出来ますか?

子ども達は感じることが出来るでしょう。しかしいったん成長してしまった私たちには人生が退屈で重荷と感ぜられ、音楽は遠のいてしまいがちです。ある時などは心が沈み、その鼓動でさえ忘れてしまいがちです。心臓の鼓動は実際、人生の素晴らしいメッセージであるというのに。「生きよ、存在せよ、動きそして喜べ!あなたがたは生きている!」と鼓動は叫んでいるのです。この心臓の素晴らしいリズムなしには私たちは存在し得ないのですから。

疲れたり、プレッシャーがあったりする時、子どもが私を生き返らせてくれます。私は彼らの中に、新しい生活、新しい音楽を見出すのです。ふたつの茶色い眼が無邪気に、深く私を覗き込むので、心の中で私は「歌の子どもだ」とつぶやくのです。このような経験ののち私はすぐさま気づくのです。「僕だって歌なんだ」私はこうして再び自分自身に立ち戻っていけるのです。



8.無邪気な子ども

無邪気な子ども、その晴れやかな日々が懐かしい
いつまでもあきることなく遊びまわったね
ここから姿を消してから、
あの通りは寂しく、暗く、みじめなものになった

無邪気な子どもよ、僕のもとへ戻ってきておくれ
ただ君が笑うだけで、
その微笑みがここを生き返らせるんだ
心臓の鼓動が君のダンスのリズムを刻む 

無邪気な子ども、君の高貴さ、美しさが
義務を超えて、僕を呼びよせる
来て、僕と一緒に空高く飛ぼう
愛という国にある山々を越えて

無邪気な子ども、喜びの天使
ふと僕の心に入ってきて
僕の心はひどくたぎってきたよ
この世界を変えること、それが僕の望みなのだから



9.子ども達


 
私は子ども達のその楽しげな笑顔の中に、神々しいものを見ます。心から溢れてくる無邪気さが輝いています。ここに得るべきものは多いと思うのです。もし子どもがチョコレートのアイスクリームを欲しかったら、それを言うでしょう。大人は同じ状況下なら、アイスを食べようかどうか一瞬でも迷います。子どもは単に楽しみたいだけなのです。

私たちが子ども達から学ぶべきものは、子供らしくある、ということではありません。子ども達と一緒にいることによって、決して消えることのない、活力に満ちた人生の智慧に触れることができるのです。現在、世界が混乱し、多くの難問に直面している今こそ、私達はいつにもまして子ども達を必要としているのです。彼らの自然な智慧が前に横たわっている解決策を見出してくれるのです。私たちの心にもあり、気付かれるのを今かと待っている解決策が。



10.世界の子ども達

世界の子ども達、遊ぼう                       
どこまでも果てしなく続く海岸で待ち合わせをして           
砂の城をつくり、ボートを浮かべよう                 
人々が闘い、自分の意見に固執している間に              
新しいお面をつけてずっと                      
時の流れの中をぐるっとまわろう 

世界の子ども達、遊ぼう                       
歌やダンス、無邪気な喜び                      
愛のこもったキスや、優しい抱擁                   
遊ぼう

商人が貿易をし、値段の言い争いをしている間             
政治家が機嫌を取ろうと躍起になっている間に             
どこまでも果てしなく続く海岸で待ち合わせをして           
ボートを浮かべよう                         
遊ぶんだ

弁護士が議論をし、医者が手術をし、                
株式仲買人が肉の値段を引用し、                   
牧師が説教をしてベルを鳴らし、                   
渡り政治家が何かを売りつけている間に                
僕たちは無邪気に微笑んで歌い、踊る                 
愛のこもったキスや、優しい抱擁                   
遊ぼう                               
どこまでも果てしなく続く海岸で待ち合わせをして           
砂の城をつくり、ボートを浮かべよう                 
遊ぶんだ

虹や雲、嵐に乗って、                        
風にまたがり、僕たちは形を変えるよ                 
星に手を触れ、月を抱く                       
なんだって越えられないものはない、すぐ行ける

建築家が高いビルを作ろうとし、                   
貿易商たちが声を張り上げている間、                 
取締役会が過熱して口論をし、                    
密かに商人達が約束を交わしている間に、               
僕たちは無邪気に微笑んで歌い、踊る                 
愛のこもったキスや、優しい抱擁                   
遊ぼう

哲学者達が心と身体の終わりない問題に                
とりくみ、格闘している間、                     
物理学者が空間と時間という終わりない問題を             
考え、考え続けている間に                      
考古学者が在りし日の宝物を求めて、                 
調査し、地面を掘り続けている間に、                 
心理学者が激昂した時の思考、恐れ、執着からくる           
涙の意味を分析しようとしている間、                 
牧師が人々の告白を聞き、                      
人々が喧騒の中で格闘している間、                  
僕たちは星に手を触れ、月を抱く                   
なんだって越えられないものはない、すぐ行ける            
虹や雲、嵐に乗って、                        
風にまたがり、僕たちは形を変えるよ

世界の子ども達、遊ぼう                       
歌やダンス、無邪気な喜び
愛のこもったキスや、優しい抱擁



11.勇気

勇気がある、ないとはどういうことなのだろう。何千人という人々を前にしたステージを降りると、もう自分が勇敢だなんて考えられない。一人の人に本当の感情を伝えることでさえ、かなりの勇気がいる。勇気というものを考える時、僕はオズの魔法使いに出てくる勇気のないライオンを考える。彼はいつも危険から逃げてばかり。あまりの怖さに叫び、飛び上がる。でも彼は、同じ気持ちを抱いていなくとも、愛している者たちと心を通わすことができる。

心を分かち合う、これが勇気ということ。自分の気持ちを表現するということと、自分の自信を失ってしまうということとはイコールにはならない。誰がなんと言おうと、人に受け入れられる、自分の心に真摯になること。心を分かち合う勇気があれば、自分が何者であるか見出し、他の人にも同じことができる。それはときどき怖いことでもある。あまりにも心を開きすぎて、拒絶に傷つきやすくなるから。でも自分を受け入れられなければ、映画で見るヒーローが持つ勇気のように空虚なものになる。試練はたくさんあるけれど、それでも自分に正直になり、心を分かつことで自分をも発見できる。僕たちに必要なのは、愛によるつながりだ。

ダンシング・ザ・ドリーム ♯2