Report from Jonathan Margolis #2

マイケルは、マーシーサイドで起こったジェイミー・バルガーの事件に苦悩していました。そして先週の火曜日にあったオックスフォードでのスピーチでは、この事件に触れ、聴衆を驚かせたりもしました。スピーチにこの話題を入れることで、地元色を出そうとしたに違いない、などと囁かれてもいましたが、実際はそうではないのです。この事件に対するマイケルの苦悩は、エルビスの娘であるリサ・マリーとの結婚にまで遡ります。

マイケルとリサはロンドンへの旅の途中で、言い争いをして破局しました。マイケルは、かつての自分がそうだったようにジェイミーと彼の両親の心が病み、特にジェイミーは荒れた子ども時代をおくったのだろうと言ったことで、妻を怒らせてしまいました。ジェイミーが悲惨な子ども時代を過ごしたのは事実でした。

マイケルは、子どもの性悪説については完全に否定していました。去年の秋、マイケルはこのジェイミーの殺人事件について何が起こったのかと、自問し続けていました。そしてこの一連の事件について執筆したいと願っていたのですが、自分の名声によって、報奨目的でやっているのだろうと、マイケルにとっては到底受け入れがたいことを言われるため、書かずじまいになってしまいました。

マイケルは、自分の名声が時には子ども達を救うという使命の妨げになり得るのだということに気づき、相当落ち込んでた、とシュムレーは語っていました。シュムレーと一週間に渡り準備してきた草稿をもとに、飾らない調子で始められたオックスフォードでのスピーチの前、私は再びスウィートでマイケルに会いました。

幸か不幸か、マイケルの脚のことがあったので、スケジュールが遅れていたのです。オックスフォードで公演を行なう時は、最後まで立ってスピーチに望みたい、胸ポケットにミッキーマウスのついた、ストライプのグレーのパジャマに身を包んだマイケルはそう言い張っていました。彼のスピーチへのこだわりには目を見張るものがありました。スピーチは、マイケルが彼の父親を許すところで最高潮に達するものでした。

ジャクソンファイブが素晴らしいショーをするとジョゼフはまあまあだと言い、まあまあなショーをすると彼はひどかったと言った、というくだりがあったのですが、マイケルはこう言いました。「ねぇ、そこは僕が間違ってたよ。父さんはひどかったなんて言ったことはない。何も言わなかったんだ、そういう時は。ここでは正直にならなくちゃいけない」こう言って彼は静かになり、しばらく座ったままでした。花瓶からチューリップを一本とって手に持ち、何か考えごとをしているようでした。マイケルはこの文章を替えることにし、ただ「何も言わなかった」というのが適切な表現だと言いました。このことがあった夜、マイケルは取り乱し、しばらくすすり泣いていました。

ここは劇場だ、ある人々はそう思うかもしれません。オックスフォードの学生全員がここへきたのではないかと思われるほど、それは真実味を帯びてきます。マイケルが着替え、医者に診察してもらっている間、私はマイケルのスウィートに行ってみることにしたのです。部屋中に、HMVでマコーレー、マイケルの知人の娘である二十歳のブロンドの女性(マイケルは彼女を子どもの時から知っていました)と、2,000ポンド相当のショッピングをしたものが散らばっていました。子供向けのDVD、デビッド・アッテンボローの野生動物のビデオコレクション、何十枚というCDです。このCDの中には、ビートルズのアルバム1も含まれていました。マイケルはもちろんこの版権を持っていましたので、このCDを買うと自分にロイヤリティーを払っていることになるのですが。

それはマイケルが子どもと一緒にいることだけを楽しんでいるというような噂が、真実ではないことを私に印象づけるものでした。彼は、自分が小さい時から知っている若者たちと一緒にいるのが好きだったのです。彼らは信じることができるからです。

すでに夜遅かったのですが、私達は出発することにしました。マイケルはオックスフォードまでの道のりのため、果物をかき集め始めました。(リンゴ
2つ、バナナ1つ、プラム2つとオレンジ1つ)それから、松葉杖を使っているのでよろけながら、道中で読むものを必死で探していました。それは高級品を扱った何冊かの雑誌と、最近の展示品を掲載した25ポンドのロイヤル・アカデミーのカタログ『ローマの天才15921623』で、学生の友達からプレゼントされたものでした。

私達はマネージャー、医者、ボディーガード、シュムレーとともに、車に乗り込みました。マイケルは膝に本をおいて、車の後座席に私や、医者と一緒に座りました。そしてルネッサンスの芸術について語り合ったのです。マイケルは、芸術についてはダイアナ・ロスが多くのことを教えてくれ、父親も生まれながら画家の素質が合ったということを話してくれました。

ちょうどクロムウェルロードを走っている時だったのですが、シュムレーはラスベガスにいるマイケルの父親に電話してはどうかと持ちかけました。「君は彼を赦したいというスピーチをするんだろう?いい時機だと思うんだ、マイケル」とシュムレーが言ったのです。

マイケルはハマースミスまで、静かに物思いにふけっていました。そして突然、携帯に手を伸ばし、電話をかけ始めたのです。「ジョゼフ」と、マイケルは言いました。ちょうど私達はロンドン市内に入り、ラッシュアワーに遭遇してしまったようでした。「僕だよ。マイケルだ。今ロンドンにいるんだよ。大丈夫。足を骨折しちゃって、すごく痛いんだけど、でもこれだけは知っておいてもらいたいんだ。僕は講演をするためにオックスフォード大に向かっている最中なんだけど、スピーチの中であなたについて触れることになっているんだよ…違う、違うってば。心配しないで、とてもポジティヴな内容なんだよ…もちろん…元気にしてた?…そう…そうなんだ、もちろんそうするよ。愛してるよ、父さん。またね」会話の後、マイケルは長い間、窓の外を見つめていました。「ねぇ」彼は微笑を浮かべながら、私達にこう言いました。「あんなことを言ったの、初めてだったよ。初めて。信じられないよ」シュムレーはマイケルに腕をまわして、励ましました。この後マイケルは雑誌を読んでいました。

交通事情を除けば、この道中は楽しいものでした。マイケルは、マネージャーが彼のために選んでくれた
CDは、うるさすぎるとぼやいていました。高速40号線を走っている間、少ししらけてしまった間があったので、私はジョークをふと思いつきました。「ちょっとあきてきたね。みんなで何か歌を歌うといいと思うんだけど」「誰か、歌える人っている?」普通、有名人の前でジョークを言うことはあまり良くはないのですが、ここまでの雰囲気がとても楽しかったので、私はジョークのひとつも言ってみたくなったのです。嬉しいことに、マイケルは大声で笑い始めました。

CONTINUED
source:mjjackson.de >>http://www.mjjackson.de